踊り子さん(タレントさん)
かつての劇場の踊り子さんは40代が中心だった。日舞をやっていた踊り子さんも多かったように思う。
研究生と呼ばれる若い子もいたが、始めは姐さん達の脱ぎ捨てた衣装を拾う事から始まった。
踊り子とは大変な仕事だなあと思っていた。
選曲も以前は演歌や外国の古い音楽が中心。
今は曲調も多様化し、ポップスから現代音楽まで広く自由に使われるようになっている為、踊り子さんの数だけ多種多様なショーがある。
年齢も若くなりスタイルのいい可愛い子が増えている。
「今はみんな若くなってる。脱ぐんは若いほうがいんだろうけど演技は昔のほうがよかったかな」と40年近くこの世界を見てきた社長がこっそり言う。
あとがき
以前はタンバリンやリボン(紙テープ)やポラロイドなどもなかった。純粋に見るだけのものだったが、お客様に勢いがあったそう。
館内は当然喫煙もokだった。
私がストリップ劇場というものに通い始めた20年前は、今よりも劇場数は多かったが勢いは落ち始めている時だった。
博多に住んでいた頃ハリウッドという劇場に毎月通い、踊り子さんのかっこよさに憧れ、ショーの素晴らしさに感動し、開かれてない世界を知っている事への優越感に浸っていた。
いたが、今考えてみるとその時からこの世界をもっともっと伝えていけばよかったのだと振り返る。
ストリップとは決して男性だけのものというルールは無いし、ショー自体がかなりのグレードの高さであり、女性というものがこんなにも美しいものなのだという感動がそこにある。
そして一人一人の踊り子の人生を凝縮したかのようなショーは、時に涙が出る程に胸を打つ。
もう今となってはの話かもしれないが、このある意味「庶民の伝統芸能」ともいえるショーの灯が、この日本から消える事が無いよう切に願っている。
この取材の翌日、私は道後にある劇場ニュー道後ミュージックへと足を運んだ。
踊り子4人と話し、全国で一番好きな劇場はどこか?という質問をした際に、4人中3人が「広島第一劇場」と答えた。
お客さんがいい、広島で出会った踊り子さんとは不思議と仲良くなれる、楽屋が個室など理由は様々だったが、こんなにも近くにあった劇場がこれほどいい劇場だったのだ、という事に目から鱗。
一月いっぱいで営業は終了。二月に運び出しを行い、三月には更地に。
社長の「この世界でずっと食べてきているし、何十年もこの世界に居るからこの世界が好きやしな。未練が残る」という言葉がずっと心に残る。