今年は、他界した祖父が被爆者名簿に名前が刻まれるということで、家族揃って参拝した。

行ってみないと分からないことがたくさんあった。

灯籠流しの列は、平和公園の敷地を超える長蛇の列。
最後尾に辿り着くまでに、たくさんの外国人観光客を目にした。

私たちの列の前に並ぶ外国人旅行者が小さな折り鶴を手のひらにのせ、穏やかに話す姿に胸が熱くなった。
折り鶴一つ折るのも、きっと時間がかかったと思う。
私が他国へ旅行に行った際、偶然その場に居合わせたにせよ、彼らと同じように時間をかけて、同じことができるのかと考えた。

思いがないとできないことだ。

旅行者の方々は平和への強い思いがあって、一時間以上もかかる長蛇の列に並んでいたのだ。本当に頭の下がる思いである。

祖父のご縁で参加した灯籠流しでみた光景も、もしかすると一生知り得ないことだったかもしれない。

被爆体験をカナダで語り続けてきた日本人女性サ-ロー節子さんが、「戦争は、被害者と加害者を同時に作る。大事なことは、核を二度と使用してはならない事である」と。

起きた出来事を自分都合で考えてしまいがちだが、本当に伝えなければいけないことは、核を使ってはいけない、核で死んではいけない、ということだ。

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